「死ぬくらいなら生きて告発」ができないワケ

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「『森友学園』への国有地売却に関する財務省の決裁文書が書き換えられた問題で、自殺した近畿財務局の男性職員が、上からの指示で文書を書き直させられたとか、このままでは自分1人の責任にされてしまう、などといった内容が書かれたメモを残していたことが関係者への取材でわかりました。検察当局は財務局の職員が本省から書き換えを指示されていたと見て、詳しい経緯を調べているものと見られます。」


「意に添わぬ書き換えを強制されたのなら休職中に弁護士なりマスコミなりに告発したらいいじゃないか」「意に添わなきゃその時に『社会的正義、私の信念に反するからそんなことはできません!』と断るべきだ!従わなきゃ殺されるわけじゃあるまい。その時ハイハイ従っておいて後からコソコソ『卑怯な密告』!いや野党かマスコミにそそのかされてカネで情報を売ったんだろう!」
これが組織内の正義と世間の正義の大きな隔たりである。静岡市役所エキパ書類の上司による指示により書き換えも直接行ったのはその上司と同年代「50代の非常勤職員」であった。
組織内正義で「その時断らずに加担したから」「後からこそこそ卑怯な密告」「全力を挙げてつぶすし家族だって迷惑する。それが卑怯なことをした人間への当然の罰だ」などの「後難が怖い」。仕事の協力を得られずミスの連発「無能な奴だからこの扱いは当然!」と罵倒されるだろう。ましてや国家政権にかかわる情報なら「秘密警察的組織」に抹殺されるかもしれないとまで考えてしまう組織内。
今の世の中世間一般ではそれら「告発という名の卑怯な密告」「本人の気の弱さで状況を受け入れた責任」にも理解を示される。生きて組織を離れるのも世間を知ることができる機会だがそれでも「死ぬくらいなら会社を辞めるができない理由」なのであろう。
女子レスリングのパワハラに対し至学館大学学長の言い分も白々しくむしろパワハラがあったことを否定しながら認めたような奇妙な言い分だが大学の狭い組織内の関係者は疑問には思わなかったのであろう。
集配営業部の班長・課長が「お前にはバイクを使わせない!」というパワハラを受けたと外部に通報したら局長がマスコミ等への説明で「課長・たとえ部長だろうと仕事をしようとする社員の配達用バイク使用を禁ずる権限なんてない!本人がさぼりたいためにそういう嘘を広めた」と言うようなものだろう。
組織を守るために世間一般には頓珍漢に聞こえるようなことを長の務めなのだろうが


P.S.渡邊美樹氏が「週休7日が人間にとって幸せなのか」発言を撤回謝罪。
「社内正義」として社内全社員の前の訓示なら「名言!」と絶賛されただろうが外部で過労死被害者遺族の前で口にすればどう思われるか。それに気が付かないから「社畜」なのか。債務整理や任意整理の相談はおしなり法律事務所

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