絶対に乗ってはいけない昭和の説得

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あの西田敏行氏主演の「池中玄太80キロ」というテレビドラマがありました。
子持ちの未亡人女性と結婚したが直後にその女性がし病死、その連れ後であった娘3人と同居して互いの親子としての信頼関係を築いていくという話だったと思う。
そのエピソードの中で娘の一人が友達の家でお金が無くなったときに犯人扱いをされ「母親がいない子はこれだから」と言われ怒った玄太が乗り込み、本当に盗まれたものかどうか探す、棚の裏に落ちていたお金の袋を見つけて問い詰めたが謝りもしない相手の親に怒り殴って逮捕しまう。何とか示談にしてもらおうと上司楠公さん(長門裕之)が被害者と話し合おうとするが聞き入れないのでかっとなった楠公さんは拳を固め「じゃあ俺も逮捕してもらおうじゃねえかい」とすごむ。相手の気迫に押された被害者は示談を受け入れる。
これは被害者側が最初から犯人扱いや差別的発言、謝罪もしなかったことで玄太が殴った。
その悪い奴を殴ったことで視聴者はスカッとしただろう。

示談を申し入れようとした
楠公さんも相手の態度で理屈ではなく拳で応えようとしたことで怯えた相手が引いて丸く収まった。
あくまでもドラマでありツッコミどころ満載なのだが。
この神話は平成まで「のらりくらりごちゃごちゃ理屈を述べてへらへらしている相手に拳で喝」
という「格好の良さ」でパワハラ上司が利用してきた。
結局は「自分がいつも正しい」「文句があった歴然と立ち向かう!たとえ殴り合いのけんかになっても」
そのために気の弱くおとなしい明らかな被害者が「卑怯者」と罵倒され理不尽に謝罪させられるシーンが会社内部でそこかしこに見られるようになった。
これで済まされると結局記録には残らず被害者側の「卑怯な理屈屋」としての汚名呼ばわりはいつまでも続くこれを「みんなこんな悔しい思いをして偉くなった」と無理に自分を納得させるのが精いっぱい。
しかしこのしっぺ返しは必ず来る言葉は悪いが「卑怯な理屈屋」が正しい、いや「卑怯」ではなく「正当な」、「理屈屋」ではなく「社会通念上正しい」やり方である。
なかなかそこまで自分で納得できるのはむつかしく上司との人間関係で「ここはもう引いたほうがいいだろう」という判断もあるだろう。
しかし相手の言い分に安易に納得すると結局同じことが何度でも繰り返されることになる。
「今までこういうことがあっても納得してくれたのに今回だけは意地でも許せないって、そんなくだらない意地で人を犯罪者にしないでくれ!」みたいな懇願にも耳を貸さないことが次の翁被害を防ぐことになる。ここで許したら次は命を奪われて「つい腹が立って」で済まされることになるかもしれないからだ。


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